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コラム

東大生日記 diary5『君たちはどう生きるか』を読んで(執筆者:理系K)

真山メディア編集部

近頃の若者は、何を考えているのか――。
未来のエリート候補と言われている東大生の“今”を、彼らの言葉で綴る。
そこから覗くのは、希望か、絶望か。

執筆にあたり、各人の共通初回題材として『漫画 君たちはどう生きるか』(マガジンハウス)を読み、考えを述べてもらった。
本書は、原作が1937年に出版され、時を経て漫画版が異例のベストセラーとなっている。戦前に書かれた本が、なぜ今、現代人の心を捉えたのか。本に込められたメッセージがこれからの未来を担う彼らにどう受け取られているのかを探る。

■diary5『君たちはどう生きるか』を読んで

『君たちはどう生きるか』を読んだ。中学生の時に原作を課題図書として読んだことがあったが、内容をすっかり忘れていた。どのエピソードも極めて示唆的であり、その言わんとすることが身にしみて理解できることも当時より多くなったように思う。こんないい本を読んだことをなぜすっかり忘れていたのだろうと読み進めていたが、その答えまで本の中に書いてあった。

痛烈な実感を伴わなければ意味がないのである。本の中で、主人公のコペル君がどんなに人生で初めての苦しい体験をしたとしても、自分にとっての痛切な体験ではない。そしてこれは、普段から感じている自分の弱点でもある。これまでの人生において、痛切な体験が多くなかったために、他人の思考を借りざるを得ないのだ。

今回、最も強く心に響いたのはナポレオンの人生が引用される「英雄的」存在のエピソードである。

小学生の頃から戦国武将がとてもとても好きであったことを思い出した。特に好きなのが、大坂夏の陣で華々しく散った真田信繁(幸村)である。好きな理由について改めて考えたが、おそらく、大勢が決しても尚徳川になびかず豊臣家のために尽くしたという、「利を捨てて忠義を貫く」姿勢にあったと思う。全く同様に、司馬遼太郎の『関ヶ原』に描かれた、正義を貫く石田三成にも惹かれたのを思い出した。

そして改めて、作中で繰り返し言及される「社会(及び周りのすべての人間)に貢献する」という軸に照らし合わせて考えると、真田信繁も石田三成も、その「義を貫く」決断によって一時代を築いたわけではない。しかし、その生き様は素晴らしいと、私は感銘を受けたのである。つまり、「英雄的」存在とされた人物の生き様や活動力は、記録されることで、時代を超えて人に影響を与えられるのだ。

とはいえ現代において義を重んじて命を捨てるというのはそう簡単ではない。彼らの人生から学んだことを、いかに自分の人生に反映するかはいまだに模索中だが、義理や人情、正義を重んじる尊さを、心に刻み付けて忘れずにいたい。

そもそも「社会に貢献する」必要はあるのかとも考えてしまう。しかし、これはコペル君がお父さんから期待されているのと同様に、両親からの教えとして、私が人生の意義を捉える基盤となっているのも事実だ。

社会に貢献する行為について、本の中では生産と消費の関係で語られている。本文中ではまさに労働の産物としての物の生産・消費の話である。私は、物というよりむしろ人間関係の面において、この生産と消費を意識している。私自身は多くの幸運と周りの人間に恵まれ、貴重な機会を得て経験を積ませてもらってきた(消費してきた)という自覚がある。こうした機会を次の世代に生み出す「恩送り」をしていく(生産していく)ことが最低限の責任であると感じている。社会から自分がしてもらった以上のことを、自分が社会に対して成し(たと思い込んで)、ようやく死んでもいいのではないかと考えている。

最後の頁で、読者は問いかけられる。君たちはどう生きるか、と。

私は、人間関係において消費よりも生産を多くする、義理と人情を尊ぶという意味での英雄的な生き様を少しでも実現する、さらに、借り物の思考に頼らず自分の心に響いたものを大切にする、この3つのバランスをとりながら生きていきたいと思う。本を読んでこう書いている以上、英雄的なドラマチックさは簡単には生まれないだろうし、借り物の思考を脱せていないという自己矛盾は感じているのだが。
【理系K】

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